「建国記念の日」に関する声明



日本歴史学協会は、一九五二年一月二五日、「紀元節復活に関する意見」を採択して以来、「紀元節」を復活しようとする動きに対し、一貫して反対の意思を表明してきた。それは、私たちが超国家主義と軍国主義に反対するからであり、「紀元節」がこれらの鼓舞・浸透に大きな役割を果たした戦前・戦中の歴史的体験を風化させてはならないと信じるからである。しかるに、政府は、一九六六年、「国民の祝日に関する法律」を改訂して「建国記念の日」を制定し、政令によって戦前の「紀元節」と同じ二月一一日を「建国記念の日」に決定して今日に至っている。

私たちは、政府のこのような動きが、科学的で自由な歴史研究と、それを踏まえるべき歴史教育を困難にすることを憂慮し、これまで重ねて私たちの立場を表明してきた。

二〇二三年度は、災害や開発に際して資料保全を呼びかける研究者・市民のネットワーク、フェミニズム・ジェンダー関連の科研費研究への不当な政治介入・攻撃に抗する研究者の闘い、歴史教科書採択過程への政治の介入に対して公正で民主的な採択を求める市民の活動など、学問の現場や地域における研究者と市民の努力によって、学問と思想の自由の原則が社会に根を下ろしていくことを、改めて教えられた年であった。

一方、菅義偉前内閣による日本学術会議会員任命拒否問題も未解決な状況下で、二〇二二年一二月、岸田文雄内閣は、総合的な防衛体制の強化のために「広くアカデミアを含む最先端の研究者の参画促進」を謳う安全保障三文書を閣議決定し、日本学術会議(以下、学術会議)にたいして「政府等と問題意識や時間軸等を共有」することを求め、これを前提とした学術会議法改悪案提出を図った。学術会議は、「学術研究がとりわけ政治権力によって制約されたり動員されたりすることがあるという歴史的な経験」(二〇一七年「軍事的安全保障研究に関する声明」)をふまえ、自由で独立した学問研究と平和への貢献を責務とする、日本を代表するアカデミアである。学問の自由を脅かし学術会議の独立性を損ないかねないこのような動きに対しては、一二〇余の学会、歴代の学術会議会長、国内外のノーベル賞受賞者等から反対・批判・要望等が提出されただけでなく、二〇二三年四月の学術会議総会において法案提出をいったん思いとどまることを求める「勧告」が全会一致で採択され、結果的に政府は法案提出断念に追い込まれた。しかしその後も、学術会議に対しては一方的な「法人化」案が持ち出されるなど、乱暴な政治介入が続いている。日本歴史学協会は、学術会議の根本的変質を図る政府のこのような姿勢に厳しく抗議する。

さらに、二〇二三年一一月には、一定規模以上の国立大学に文部科学大臣の承認を経て任命される「合議体」(運営方針会議)を設置し、中期目標・中期計画策定等にあたらせるとする「国立大学法人法」改悪案が突如国会に提出され、十分な審議も行われないまま強行採決された。これは日本における大学の自治と学問の自由の喪失、目先の経済的利益のみを重視した大学運営や、軍事研究の本格化といった深刻な事態を予見させるものであり、学術研究の多様性や創造性の喪失、学生の学習・教育環境の劣化は避けられない。

日本歴史学協会は、岸田文雄内閣によるこれらの政策が、学術・研究の軍事利用を志向するものであり、日本における学術の基盤を根底から毀損していることを深く憂慮し、歴史学、歴史教育と学術行政が憲法に明記された学問・思想の自由という原則に立つべきであることを、改めて強く主張するものである。


二〇二四年一月二一日


日本歴史学協会会長                  若尾 政希

同会学問思想の自由・建国記念の日問題特別委員会委員長 横山百合子